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シルクロードを楽しく観光!歴史や周辺スポットを徹底深掘り

古代からの交易路として重要な役割を果たしたシルクロードは、長い歴史の中で東西各地から民族の移動や文化が融合し、今でも独自の魅力を発する観光地です。今回は、シルクロードを西から東に、世界各国の重要な都市をたどりながら魅力を紹介します。

ライター
NEWT編集部

シルクロードと聞くと、みなさんは何を想像しますか。かつて交易路として非常に重要な役割を果たしたシルクロードは、その長い歴史の中で東西各地から民族の移動や文化が融合し、今でも独自の魅力を発する人気観光地です。
この記事では、絹の道シルクロードの長い旅を西から東、世界各国の重要な都市をたどりながら魅力を紹介します。日本との意外な深いつながりもあるので、最後まで読み進めてみてください。

Contents

シルクロードの基本情報


photo by pixabay

学校の教科書で出てくるほど有名なシルクロードですが、紀元前から存在する交易路で、距離も長大であることから全容を理解するのは非常に困難と言われています。
まずはシルクロードの基本情報から、ゆっくりと掘り下げてみることにしましょう。

シルクロードとは?


photo by unsplash

シルクロードとは、紀元前2世紀から15世紀半ばまで活用された中央アジアを東西に横断する、古代の交易路です。
全長は一般的に6,400キロメートル以上とされ、主に東アジア、中東、ヨーロッパなどの地域の経済・文化・政治・宗教の交流に役割を果たしました。
シルクロードの絹の道という意味の言葉は、19世紀にドイツ人地理学者のリヒトホーフェンが提唱、。その弟子でスウェーデン人地理学者ヘディンが出版した本によって世界中に広まりました。当時大変貴重だった絹(シルク)は、中国を起点とし遥か西方まで運ばれ文化の融合をもたらしたことから、シルクロードと呼ばれています。
近代はシルクロードの名称が一部の現代史家の間で使われなくなり、複雑な陸路・海路をより正確に表した名称をシルクルートと呼ばれるようになりました。

シルクロードの歴史


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シルクロードの歴史をたどると、遥か紀元前まで遡ることになります。
世界4大文明・黄河文明という古くからの発展があった中国は、古代の文化や貿易の中心都市としての役割がありました。中国の歴史なくしてシルクロードは語れません。

シルクロードの起源

シルクロードの始まりは、紀元前114年頃に漢王朝がかつて未開の地であった中央アジアに進出しこの地域を平定したことです。
前漢の頃、皇帝の命により張騫(ちょうけん)という外交官が、西側の未知の土地を探検し情報や物資を得ることに成功しました。これは中国の大きな関心を呼び、皇帝による外交や商業の正式な派遣を促すこととなり、国をあげての一大プロジェクトになります。誰もが知る世界遺産・万里の長城の拡張にも影響を与えているでしょう。

シルクロードの距離や経路は


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古代より文化や産物を、ヨーロッパや中東、アジアへと東西に流通させたシルクロードは、一体どこまで続いているのでしょうか。
紀元前からの大都市である長安(西安)や洛陽、ローマは、シルクロードによって文物の交易がありました。中国から始まる絹はヨーロッパ全土や東の果ての日本にまでもたらされ、その正確な長さや終点については未だに分かっていません。
しかし、2014年に洛陽から長安を経て中央アジアに至る、全長約8,700キロメートルの路線のうち約5,000キロメートルの宮殿、寺院などを含む遺跡が世界遺産に登録されました。文化遺産のなかでも全長が長大で距離を実測するのは容易ではありませんね。

シルクロードではどんなものが運ばれた


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シルクロードで運ばれたものは絹だけではなく、美術品や文化、宗教など、目に見えないものまでもが各地にもたらされました。
東洋からは茶、染料、香水、磁器など、そして西洋からは馬、ラクダ、蜂蜜、ワイン、金などが輸出され、東西に利益をもたらしたのです。
宗教では主に仏教とキリスト教がシルクロードを経て世界各国に広まりました。思想や哲学、科学的発見などの交換は、各国の歴史に大きな変化を与えたといっても過言ではありません。
その一方で、ペストや黒死病などの伝染病も東西交易人の行き来によって広まってしまいます。現代にも通じる、人とモノの交易が広がることのメリットとデメリットは、シルクロードの歴史からも理解することができますね。

シルクロードの移動手段は?


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シルクロードの移動手段は地形によって様々な形態をもってきました。
黄河、タクラマカン砂漠、天山山脈といった多様な地形を踏破するために、船やラクダ、徒歩といったように地域によって移動手段を変えなければいけませんでした。
シルクロードといえば砂漠の中をラクダに乗った集団が移動している光景を思い浮かべる方も多いでしょう。実際にラクダは暑さに強く、何日も水を飲まずに歩き続けることができるので、砂漠での移動には欠かせない使役動物でした。
また、シルクロードのなかでも最短かつ最もよく利用されるオアシス・ルートは、ラクダの利用によって開拓された交通路です。西洋と東洋の文化の融合は、ラクダなくして成立しなかったと言えるのではないでしょうか。

シルクロード観光を楽しめる世界の主要都市


photo by pixabay

ここからはシルクロードの観光で、抑えておきたい主要な都市を紹介していきます。シルクロードと深い関わりを持っている日本の都市の情報もあわせてご覧ください。

シルクロードの中心地・中国


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シルクロードの中心、または発祥の地と言っていいのが中国です。
文明が発祥した中国の地は、古代より世界的に最先端の発展を遂げており、中国が世界の中心だという中華思想は古くからあります。
そんな中国の悠久の時を感じることができる、シルクロードの主要都市をお伝えします。

西安


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西安は紀元前11世紀以降、約2000年に渡って13もの王朝の都として栄えた古都です。
かつては長安といわれ、政治の中心地として発展を続けました。シルクロードから西安にもたらされた文化や宗教は、7世紀から9世紀にかけての遣唐使や遣隋使によって日本に伝わることになります。
紀元前3世紀ごろに作られた秦始皇帝陵と墓を守る兵馬俑は、1987年に世界遺産に登録されました。
西安にはイスラム教徒の街である回民街、明代の城壁や楼、三蔵法師ゆかりの「大雁塔」などがあり、歴史的かつ文化的な見どころに溢れるスポットが多いのが特徴です。

蘭州


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甘粛省の省都である蘭州は、市内に東西約20キロメートルにわたって黄河が流れているシルクロードの交通の要衝です。
かつては金城と呼ばれており、581年に蘭州総督府が置かれて以来、蘭州と呼ばれるようになり、漢族に次いでイスラム教徒の回族が多く住んでいます。
紀元前5世紀ごろから掘られた炳霊寺石窟は、約1000年もの間に8つの王朝時代が関わったとされる遺跡。中には27メートルもの巨大な弥勒大仏があり、人気の観光地となっています。ダム湖の港からボートでのみアクセスすることが可能です。

敦煌(とんこう)


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甘粛省北西部にある敦煌は、河西回廊の一番西にあり中国と西域の玄関口として栄えた都市です。
中国、インド、イスラム、ギリシャなどの文化が交わる異国情緒が漂う風景を楽しむことができます。
中国三大石窟の一つ莫高窟(ばっこうくつ)はシルクロードを代表する観光地です。4~14世紀まで約1000年かけて、南北約1,800メートルに渡り岩山に数千もの窟が掘られているのは圧巻です。

砂漠地帯にある鳴沙山(めいさざん)は、東西約40キロメートル、南北約20キロメートルの丘陵。まるで刀で削ぎ取られたかのような美しい稜線が見物。
風が吹いて砂が動くと音が鳴ることから鳴沙山と呼ばれるようになり、シルクロードで最も絵になる風景を見ることができます。

鳴沙山の北麗に、2000年以上もの間枯れることなく豊かな水が湧き続けている月牙泉(げっがせん)。三日月の形をしている泉は砂漠の中のオアシスとして異世界に来たような雰囲気が魅力です。

ウルムチ(新疆ウイグル自治区)


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新疆ウイグル自治区の区都であるウルムチは、シルクロード天山北路の拠点となる街で、人口約300万人を超える中国西部最大の都市です。
街中には高さ301メートルの中信銀行などの大きなビルが立ち並び、漢民族やモンゴル民族などの多くの民族が住んでいます。

ウルムチ市にある新疆ウイグル自治区博物館には、桜蘭の美女と呼ばれる世界的に有名なミイラが所蔵されています。
また、海抜910メートルの紅山に整備された紅山公園は、山頂から市内を一望することが可能。紅山山頂にある鎮龍宝塔というレンガ造りの塔は観光地として人気です。

ウルムチ中心部から東北へ100キロメートルあまりの天池(天山)は、ホゴダ山脈中腹1,980メートルにある氷河湖で、青い湖に雪化粧のホゴダ山を見られる景勝地。中国のスイスとも呼ばれ、春から秋にかけて国内外の多くの観光客でにぎわいます。

シルクロードのオアシス・ウズベキスタン


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ウズベキスタンは中央アジアの内陸国で、古代からオアシス都市が栄え、東西交易路としてシルクロードの重要な中継地です。
歴史的には、アケメネス朝、パルティア帝国、ササーン朝帝国の支配を受けており、人民や宗教が流動的な時代もありました。

ウズベキスタンの都市には、サマルカンド、ヒヴァ、ブハラなどがあり、シルクロードによって富がもたらされました。ブハラの旧市街地は古代に栄えたオアシス都市を今に残すものとして、1993年に世界遺産に登録されています。
ウズベキスタンのグルメは意外にも日本食と通じるものがたくさんあります。うどんのようなトマトスープのラグマン、羊肉や玉ねぎを炒めたピラフのようなプロフ、羊肉やレバーを串焼きしたシャシリクは酢をかけた玉ねぎをのせるのが定番。各地のグルメを堪能するのはシルクロードの旅の醍醐味ですね。

数多くの国や地域の文化が融合した建造物や史跡はエキゾチックな雰囲気を堪能できるのではないでしょうか。

シルクロードの西の終点・ローマ帝国の主要都市


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ローマ帝国は、かつて地中海全域を支配した巨大国家でした。首都ローマは政治や経済の世界的中心地として君臨します。
全ての道はローマに通ずと言われるほど、中国をはじめあらゆる国家や地域から文物が流通し、シルクロード西の終点として繁栄しました。
ここでは、ローマ帝国の主要都市で観光の魅力たっぷりな都市を紹介していきます。

アテネ


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ギリシャ共和国の首都アテネは、海上交易や強大な海軍力を持って繁栄を極めた、世界で最も古い都市のひとつです。今はヨーロッパのみならず世界中の観光客が足を運ぶ「一度は行ってみたい」という憧れの観光地となっています。
アテネは紀元前5世紀頃に最盛期を迎え、ソクラテスやプラトン、ヒポクラテスなどの学問や文化の偉人をたくさん輩出しています。

かつてペルシャ帝国との戦争に勝って繁栄したアテネですが、地中海へ勢力を広げるローマとの戦争によりローマ帝国に支配されるようになりました。その後は十字軍国家、オスマン帝国、東ローマ帝国などの支配により、その遺跡も数多く残ります。
アテネのシンボルであるアクロポリスは、海抜150メートルの平らな巨大石灰岩の上に神々の神殿が建てられている人気観光地。周辺には観光客に人気のギリシャ風ヨーグルトが味わえるショップがあります。
さらに、6体の女神像が屋根を支えるイオニア式神殿のエレクティオンや、勝利の女神ニケに代表されるアテーナー・ニケ神殿という見所。ソクラテスが度々議論を交わした古代アゴラなど、当時の大神殿の面影を感じることができるでしょう。

アテネは、アクロポリスや古代アゴラなどの観光地を1日で周遊できるコースもあります。スケジュールに余裕がなくても主だった観光地がそれほど離れていないアテネなら十分楽しむことが可能です。

ウィーン


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オーストリアの首都であるウィーンは、ドナウ河の水運による交易の要衝として発展をとげました。
かつてはウィンドボナという集落でしたが、2世紀にローマ帝国の支配で城塞が築かれて駐屯地となりました。
13世紀後半には神聖ローマ皇帝となったハプスブルグ家が支配し、豪華な宮殿などが建造されて歴史的な価値と魅力を生み出しています。

17世紀後半に強大なオスマン帝国に包囲されますが、堅牢な要塞で打撃を抑えて、大きな危機を脱しました。その際にトルコ軍が置いていったコーヒー豆によってウィーンのカフェ文化が根付いたことを知っている人は少ないのではないでしょうか。
また、ウィーンのシンボルであるシュテファン大聖堂は、高さ136.7メートルという教会の塔では世界3位を誇ります。

ウィーン郊外にあるカルヌントゥンは、ローマ帝国軍の駐屯地の遺跡です。凱旋門、円形劇場などのローマの古い風習や文化にならった考古学的にも重要な場所としての魅力もあります。

ヴェネツィア


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水の都として有名なヴェネツィアは、シルクロードからの陸路とアドリア海の海路を結ぶ交易の要衝です。
特に当時ヨーロッパで需要が大きく高価だった香辛料・コショウの貿易を独占することで繁栄。しかし15世紀にオスマン帝国がコンスタンティノープルを占領し、インドや東南アジアから香辛料の交易が断たれたことにより衰退してしまいました。

芸術の街としても知られるヴェネツィアは、貿易を通じて貴重な顔料が入手できたので絵画芸術が発展します。ドゥカーレ宮殿のフレスコ画で描かれた豪華な部屋は、イタリアのルネサンス文化が開花した都市としての代表的な作品です。
また、世界で最も美しい広場と呼ばれるサン・マルコ広場は異常潮位現象によって浸水することでも有名です。

ローマ


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イタリアの首都ローマは、紀元前27年に始まったとされる古代都市で最大の首都です。
全ての道はローマに通ずというの言葉通り、ローマ街道はあらゆる方面からローマの中心部に向かって造られています。はるか遠くの中国の絹製品や芸術品などがシルクロードを通じてローマにたどり着いており、まさにシルクロードの終点といえるでしょう。
また、ローマは紀元前1世紀から2世紀にかけて五賢帝の時代に最盛期を迎え約100万人の人口を有した当時の世界最大都市です。

円形闘技場のコロッセオは、ローマ帝政期の西暦80年に作られた、ローマを代表する観光地です。
ポン・デュ・ガール(ガール橋)は古代ローマ時代の西暦50年ごろに建造された水路橋です。美しいアーチの石橋は1世紀の建造物とは思えないような高度な建築技術で、ローマの技術力の高さがわかります。1985年に世界遺産に登録されているガール橋は一見の価値ありです。

シルクロードの東の終点は日本の奈良県?


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シルクロードと深いつながりがあり、多くの風習や文化の影響を受けた都市が日本の古都である奈良県です。
奈良時代、交易のあった唐から国際色豊かな文化が日本に伝えられ、天平文化という独自の文化・芸術が花開きました。
その影響は建築、仏像、美術工芸品など多岐に渡り、シルクロードからの高度な技術が伝わらなければ生まれなかったであろうものも多くあります。
奈良正倉院の宝物の一部で、鳥の頭に似せた蓋つきの水差し漆胡瓶は、形は古代ペルシアで生まれたもので、アジアの漆技法が使われています。また紫地鳳形錦御軾というひじつきはペルシャやローマ、中国の国際色豊かな文様が描かれています。
これらを含めた約9,000点にも及ぶ正倉院の宝物は、壮大な東西交流文化の結晶です。宝物の一部は毎年秋開催される正倉院展で公開されていますよ。

シルクロードと日本の関係は?

世界を結ぶ絹の道シルクロードは、西の終着地点がローマだとしたら、東の終着地点は日本だということができます。
最も重要な絹の生産国である中国は、中央アジアの交通の交易路を開拓し広くヨーロッパや中東との交易網を確保しました。日本はその中国へ遣唐使や遣隋使を通して多くの文物や技術を得たため、シルクロードは日本まで通じていたことがわかります。
シルクロードから無数の行商人や外交官を介して、はるか海を渡って東の果ての日本に文物が届いていたなんて、壮大なロマンを感じることができますね。

【知っておくと2倍楽しめる】シルクロードの豆知識


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シルクロードによって東西の交易が行われたのは絹だけではなく、野菜、果物、香辛料などの食材も広く伝来しました。
一つの例として小麦の栽培はメソポタミアで始まったもので、シルクロードを経て中国に伝わりました。漢代以降には中国で様々な小麦料理が食べられるようになり、製麺の技術を開発します。
麺の食文化は東西の広域に伝来し、主に中央アジアで食べられているラグマンや日本のうどんやそうめんも中国から伝わったとされています。もともとは中東の食材であった小麦がシルクロードのおかげでおいしいグルメが誕生したと考えたら感慨深いものがあるのではないでしょうか。

また、中国ではシルクロードを通じて西域から伝わった食べ物の名前に“胡 ”が付けられており、具体的には胡椒、胡麻、胡桃、胡瓜などが挙げられます。現地で漢字表記を見て発見してみるのも楽しみ方のひとつかもしれませんね。

シルクロードの歴史や文化を学んで観光を楽しもう!


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シルクロードの壮大な歴史とロマンを少しでも理解していただけましたか。
古代からの都市中国、ローマを中心に交易で東西を結び、インドや中東、日本にまで影響を与えていたシルクロード。古代人の探求心がもたらした功績は、歴史や文化の融合により、現代の私たちの豊かな生活に通じています。
シルクロードを旅する醍醐味は古代からの歴史に浸りながら現在地の魅力を感じることです。せっかくの旅も歴史背景などの予備知識がなければ十二分に楽しむことができません。この記事が旅先を堪能するスパイスになれば幸いです。

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