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日本三大祭りとは?実は共通点がある京都・大阪・東京の祭りを解説

日本三大祭りは、その名の通り、日本に数多くある祭りの中でもとくに盛り上がる3つの祭りのこと。日本にはたくさんの祭りがあるなかから、京都、大阪、東京の祭りが選ばれています。 この記事では、日本三大祭りを紹介!実は4つある三大祭りの基本、それぞれの祭りの見どころ、意外な共通点などについて解説します。

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日本三大祭りは、その名の通り、日本に数多くある祭りの中でもとくに盛り上がる3つの祭りのこと。日本にはたくさんの祭りがあるなかから、京都、大阪、東京の祭りが選ばれています。


この記事では、日本三大祭りを紹介!実は4つある三大祭りの基本、それぞれの祭りの見どころ、意外な共通点などについて解説します。

Contents

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日本三大祭りとは

photo by PIXTA

日本三大祭りとは、京都の祇園祭、大阪の天神祭、東京の神田祭のことです。ただし、東京の神田祭には少し異論があり、山王祭を加えることもあります。でもそこには納得の理由があるんです。

日本三大祭りの基本

まずは日本三大祭り、それぞれの基本からまとめてみましょう。

祇園祭

祇園祭は京都八坂神社の祭礼。毎年7月1日から31日まで行われます。その起源は平安時代にさかのぼるという古い祭りで、疫病退散を願って始まりました。

天神祭

天神祭は大阪天満宮の祭礼。毎年7月24日と25日に開催されます。こちらも平安時代末期から続く歴史ある祭りで、菅原道真公を祀っています。

神田祭

神田祭は東京神田明神の祭礼。奇数年の5月に開催。江戸時代から続く祭りで、江戸三大祭りの一つとして知られています。

山王祭

山王祭は東京日枝神社の祭礼。偶数年の6月に開催されます。神田祭と同様に江戸三大祭りの一つ。徳川家と深い関わりがあります。

神田祭は奇数年、山王祭は偶数年に行われるのがポイント。交互に行われるため、東京の大きな祭りとして神田祭と山王祭をひとつにしているのです。

日本三大祭りはどのようにして選ばれた?

実は日本三大祭りには、厳密な根拠はありません。またとくに何かの重要な書物で三大祭りに選ばれたということもなく、自然発生的にそのように呼ばれています。ではなぜこの4つの祭りが選ばれたのでしょうか?

大きな理由は、祭りの歴史と規模。三大祭りはどれも数百年の歴史を持ち、それぞれの地域でもっとも重要な祭礼とされています。また華やかで壮大な神輿渡御や山車巡行などが行われ、多くの観光客が集まるのも特徴。

そして重要なのは三大祭りが行われる場所です。青森のねぶた祭りや博多のどんたくなど大きな祭りは地方にもありますが、京都・大阪・東京(江戸)という日本の3つの主要都市で行われることから、三大祭りにふさわしいとされているのです。

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日本三代祭りの由来

photo by PIXTA

日本三大祭りはどのような由来で始まったのでしょうか?実はそこには意外な共通点があります。

日本の祭りはなぜ行われる?

日本三大祭りの前に、日本の祭りはそもそもどういう理由で行われるのかを解説しましょう。

神々への感謝と祈願

祭りを行う大きな理由は、豊作や平和、健康などを神々に感謝し、今後も恵みが続くよう祈願すること。とくに豊作や豊漁への感謝の祭りは各地でたくさん行われています。

怨霊鎮魂

日本では疫病や災害、不幸なできごとは、怨霊の呪いによるものだとされてきました。いくつかの祭りは怨霊を慰めてその怒りを鎮めるという役割も持っています。

地域コミュニティの結束

祭りは地域の人々が一丸となって準備して行う一大イベント。祭りによってコミュニティの絆を強めるというのも昔から大きな目的でした。

季節の区切り

多くの祭りは、農作業の節目や季節の変わり目に行われます。これは自然のサイクルと人間の生活のリズムを調和させるのが役割。祭りが終わったら次の季節に向かって心機一転!ということなんですね。

娯楽と観光

祭りは日常生活から離れて楽しむ機会。とくに江戸時代以降、祭りは庶民の娯楽として大きな役割をはたしてきました。現代では娯楽の種類も増えて祭りの意義は薄くなってきたかもしれませんが、それでも祭りは人々を魅了し、貴重な観光資源としても役立っています。

文化の継承

祭りを通じて地域の伝統芸能や工芸、習慣が継承されていきました。たとえば祇園祭の山鉾巡行は、京都の伝統工芸の粋を集めた美術品の展示の意味ももっています。楽しい祭りがなければ地域の伝統の多くが失われてしまったかもしれません。

精神的浄化

祭りに参加することで人々は心を清め、新たな気持ちで日常生活に戻ることができました。

このように日本の祭りはたくさんの意味を持っていますが、日本三大祭りは、上記の中のひとつを主な目的にしています。共通するその目的は、どれだかわかりますか?

共通点は、怨霊鎮魂 

日本三大祭りの共通点は、いずれも疫病や災害、怨霊を鎮めるという目的ではじまったことです。祇園祭は疫病退散、天神祭と神田祭は怨霊鎮魂を祈願する祭りだといわれています。

ここからは祇園祭や天神祭など、それぞれのお祭りの由来や見どころを紹介していきます。怨霊鎮魂についても解説しているので、ぜひチェックしてみてくださいね!

祇園祭

photo by PIXTA

祇園祭は京都八坂神社の祭礼。毎年7月1日から31日まで行われる日本最大級の祭りです。とくに有名なのは7月17日の前祭と24日の後祭の山鉾巡行。後悔しても遅いことを後の祭りといいますが、一説では祇園祭の山鉾巡行は前祭がとくに見もので後祭はつまらないことからこの言葉ができたといわれています。

しかし実際には後祭がつまらないということはなく、祇園祭の期間中、京都の街は祭り一色となります。国内外から訪れる観光客は100万人以上。ユネスコ無形文化遺産にも登録された祇園祭はまさに日本を代表する夏祭りです。

祇園祭の由来

祇園祭の起源は、平安時代の869(貞観11)年。その当時、京の都では疫病が蔓延し、多くの人々が苦しんでいました。

そこで朝廷は神泉苑で御霊会(ごりょうえ)を実施。疫病退散を祈願しました。御霊会では66本の鉾を立て、それぞれに祇園社(現在の八坂神社)の神霊を勧請。これが現在の山鉾巡行の原型となったといわれています。それ以来、疫病が流行するたびに祭りが行われるように。次第に御霊会は毎年恒例の行事となっていきました。

photo by Unsplash

平安時代後期には御霊会は祇園社の祭礼として定着。室町時代には現在のような華やかな祭りの形式が整ったといわれています。祭りの中心である山鉾に豪華絢爛な装飾が施されるようになったのも室町時代以降。山鉾は動く美術館と呼ばれるほどの美しさを誇るようになっていきました。

江戸時代になると祇園祭は京都の三大祭(祇園祭、葵祭、時代祭)のひとつに。祭りは疫病退散の祈願だけでなく、商人たちの力を示す場にもなります。その流れもあって観光的な大イベントにもなっている祇園祭。しかしその根底には、疫病や災厄を退散させる御霊会の伝統が受け継がれているのです。

祇園祭のみどころ

photo by PIXTA

祇園祭にはたくさんの見どころがあります。まとめて紹介しましょう! 

山鉾巡行

祇園祭の最大の見どころは山鉾巡行。約30基の山鉾が祇園囃子とともに京都の街を巡ります。各山鉾は長刀鉾や函谷鉾など、それぞれ独自の名前と歴史を持っているのが特徴。なかには約1000年の歴史をもつものもあり、その歴史的価値と芸術性の高さから、動く美術館と呼ばれています。豪華絢爛な装飾が施された巨大な山鉾が曳かれる様子は圧巻です。

注目は辻回しと呼ばれる90度の転回。重さ数トンもある山鉾を人力で巧みに操る技術が祭りの大きな見せ場となっています。

宵山

山鉾巡行の前夜に行われる宵山では、提灯に照らされた山鉾を間近に見ることができます。通りには多くの屋台が立ち並び、祭りの雰囲気も満点。地元の人々や観光客で賑わう宵山は、祇園祭の風情を楽しむ絶好の機会となっています。

同時に各山鉾町では祭りにまつわるさまざまな行事も開催。祭りの夜を彩ります。宵山では普段は見ることのできない山鉾の細部まで観察できるので、興味がある方にはおすすめ!精巧な細工や装飾をじっくり楽しむことができますよ。

ちなみに祭りとしてのピークは17日の山鉾巡行ですが、観客は16日の宵山、15日の宵々山、14日の宵々々山の方がはるかに多くなります。

神輿渡御

神輿渡御は祇園祭のクライマックス。八坂神社の神霊を乗せた3基の神輿が、氏子たちに担がれて巡行します。この3基の神輿はそれぞれ別の神様を祀っており、なかでも須佐之男命を祀る中神輿がもっとも重要。神輿には豪華な装飾が施されていて、荘厳な姿が見る者を圧倒します。

神輿渡御は神様が町を巡って災厄を払い、繁栄をもたらす行事。勇壮な掛け声とともに進む神輿は必見です。

コンチキチン

祇園囃子の独特のリズムはコンチキチンと呼ばれます。祭りの雰囲気を盛り上げるこのリズムも祭りにとって大切なポイント。笛、小鼓、大鼓の音色が街中に響き渡り、祭りに独特の活気を与えます。祇園囃子はそれ自体が芸術性の高い伝統音楽。単なる伴奏ではないと評価されていますから、ぜひ注目してみてください。

屏風祭

祭りの期間中、各家庭では屏風を飾る習慣があります。これは屏風祭とも呼ばれる伝統。町家の軒先に並ぶ屏風は京都らしい風情で、祇園祭の雰囲気をさらに深めています。

この屏風は、歴史的な絵画や書、あるいは現代アートまで、さまざまな作品が描かれているのが特徴。普段は見ることのできない貴重な美術品を鑑賞する機会にもなっています。祇園祭は宗教行事にプラスして地域全体の文化祭のような性格ももっているんです。

祇園祭の基本情報

住所(八坂神社)

京都市東山区祇園町北側625番地

電話

075-561-6155

開催日時

7月1日~31日

山鉾巡行

前祭7月17日・後祭7月24日

アクセス

206系統市バスで祇園下車すぐ

料金

見学無料

公式サイト

https://www.yasaka-jinja.or.jp/ 

天神祭

photo by PIXTA

天神祭は大阪天満宮の祭礼で、毎年7月24日と25日に開催されます。まさに大阪を代表する夏祭り。百数十万人の人出でにぎわいます。とくに有名なのは25日の船渡御。約100隻の船が大川を進む様子は圧巻です。陸渡御と船渡御が織りなす光景は、陸の祭り、川の祭りと呼ばれ、大阪の夏の風物詩となっています。

天神祭の由来

天神祭の起源は平安時代末期の1069(延久元)年。この年、菅原道真公を祀る北野天満宮から大阪天満宮に神霊を分祀。これを記念してはじまったとされています。

学問の神様としても知られている菅原道真は、平安時代の貴族で学者。しかし政争に巻き込まれて大宰府に左遷され、失意のうちに亡くなりました。道真の死後、都ではさまざまな災害が起こり、これを道真の怨霊の仕業だと恐れた人々は、道真を神として祀ることで怨霊を鎮めようとしたのです。

Tenjin Matsuri by eerkmans is licensed under CC BY-ND 2.0

大阪天満宮に道真の神霊が分祀された際、その霊を鎮めるために祭りが行われたのが天神祭の始まり。当初は簡素な祭りでしたが、時代とともに規模が拡大し、豪華になっていきました。

とくに江戸時代になって大阪の商人たちが祭りに深く関わるようになると祭りはいっそう華やかに。この頃から現在の天神祭の原型が形作られ、船渡御や鉾流しなどの行事が確立されたといわれています。

このようにして道真の怨霊を鎮める目的から始まった天神祭は、次第に学問の神、商売の神としての道真を祀る祭りへと変化。現在では大阪の文化と伝統を象徴する祭りとして、また観光の目玉としても大切な祭りになっています。

天神祭のみどころ

photo by PIXTA

派手な見どころの多い天神祭。その注目ポイントを紹介しましょう。 

船渡御

船渡御は100隻以上の船が大川を進む行事。その様子は圧巻で、なかでも御鳳輦船(ごほうれんせん)と呼ばれる神霊を乗せた船はまさに豪華絢爛です。御鳳輦船には金色に輝く鳳凰の装飾が施され、荘厳な姿が見る者を魅了。また奉納船や警固船など、さまざまな役割を持つ船が川面を埋め尽くす様子も見事で、まさに水の祭典と呼ぶにふさわしい光景です。

鉾流し

船渡御の最後に行われる鉾流しも見どころ。この行事には厄除けの意味があり、祭りの締めくくりとして重要な意味をもっています。川に流された鉾を拾うと福が訪れるという言い伝えがあるので、多くの人々が川岸に集合。鉾を拾おうと熱心に待ち構えます。祭りに参加してもし鉾を拾うことができたらラッキー!縁起物として大切に保管してくださいね。

陸渡御

陸渡御は神輿や鉾などが市内を巡行する行事。船渡御と並ぶ天神祭のもう一つの顔です。華やかな衣装を着た参加者たちがパレード。傘鉾や獅子頭、神功皇后や菅公の扮装行列など、歴史的な要素の出し物が見どころです。こちらも沿道には多くの見物客が集まり、熱気に包まれます。

神輿渡御

神輿のなかでも本宮神輿と呼ばれる大きな神輿は、その重量と豪華さで有名。神輿を担ぐ氏子たちの一体感と熱気も見どころです。神輿が町を巡ることで、地域全体に御神霊の恩恵が行き渡るとされています。

奉納花火

7月25日の夜に行われる奉納花火は、天神祭のクライマックスです。約5,000発の花火が夜空を彩り、船渡御とともに幻想的な光景を作り出します。花火と船渡御が同時に楽しめるのも、天神祭ならではの特徴です。

天神祭の基本情報

住所(大阪天満宮)

大阪市北区天神橋2丁目1番8号

電話

06-6353-0025

開催日時

7月24日宵宮、25日本宮

アクセス

大阪メトロ 谷町線・堺筋線南森町駅下車

料金

見学無料

公式サイト

https://tenjin-matsuri.com/ 

神田祭

photo by PIXTA

神田祭は東京神田明神の祭礼。奇数年の5月に開催されます。江戸三大祭りの一つとして知られ、毎年約30万人が訪れる祭り。とくに神田明神から日本橋を経て銀座まで練り歩く神幸祭は、祭りのハイライトとして知られています。江戸の歴史と文化を感じられる祭りです。

神田祭の由来

神田祭の起源は1600(慶長5)年。徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利した後、江戸の町の安泰と繁栄を祈願してはじめました。しかし神田明神の祭神3柱のうち三ノ宮と呼ばれるのが平将門であることから、その霊を鎮めることが目的だともいわれています。平将門は、新皇(しんのう)と名乗り、関東圏の独立を目指しましたが、朝廷から逆賊と呼ばれ、討伐軍に矢で額を射抜かれて戦死しています。

その後、将門の首は京都の河原でさらされることに。しかし切断された胴体を求めて東国へと飛んでいき、現在の大手町の一角に残る将門の首塚に到着したという伝説が残っています。14世紀に疫病が広まった際、人々が将門の祟りだと恐れたため、神田明神が将門を祭神として迎えました。神田祭はその平将門を鎮める意味も持った祭りだともいわれているのです。

DSC_0322 by Marufish is licensed under CC BY-SA 2.0

家康は江戸幕府を開いた後、神田明神を江戸の守護神として崇拝。神田祭は幕府の庇護を受けて盛大に行われるようになりました。

とくに8代将軍徳川吉宗の時代には、祭りの規模が一層拡大。現在の神田祭の原型が形作られたといわれています。同時に神田祭は町人文化の発展によってより華やかに。山車や神輿、踊りなどが加わり、祭りは江戸の人々にとって最大の娯楽のひとつになっていきました。

ちなみに神田明神は、平安時代末期に現在の文京区本郷から神田に移された神社。この当時の神田は人口ごくわずかな農村地帯でした。ところが江戸時代に入るとだんだんと都市化し、神田明神も江戸の中で重要な位置を占めるようになったのです。現在も神田明神は東京中心部の氏神様。その範囲には神田だけでなく、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内など108の町会が入っています。

神田祭のみどころ

photo by PIXTA

東京を代表する神田祭には、江戸情緒あふれる見どころがいっぱいです。

神幸祭

神田祭のメインである神幸祭では、ご祭神を乗せた鳳輦という神輿や一般的な神輿、平安時代の衣装を着た人々の行列が神田や日本橋、大手町、丸の内、秋葉原などを巡行します。

神幸祭は、地域を守る神々が一の宮鳳輦(いちのみやほうれん)、二の宮神輿(にのみやみこし)、三の宮鳳輦(さんのみやほうれん)という3つの神輿に乗って町々を祓い清めるという趣旨。平安時代の衣装の人々は、神々の付き添い役です。

附け祭

附け祭は江戸時代の神田祭でもっとも人気があった行列。当時流行した能や浄瑠璃などを題材に取り入れて踊屋台や曳き物、仮装行列で表現するもので、今でも毎回注目の的となっています。この附け祭は日本橋で神幸祭に合流。数千人規模の大行列となってさらに練り歩きます。

宮入り

氏子108町会による神輿は大小200基。各地域を練り歩いた神輿は朝から晩まで続々と神田明神に宮入りします。迫力ある宮入りは神田祭のクライマックスです。

女神輿

1977(昭和52)年から始まった須田町中部町会の神輿は 女神輿の元祖。かつてのしきたりでは神輿は女が触ってはいけないとされてきましたが、女みこしの登場が時代を切り拓きました。

神田祭の基本情報

住所(神田明神)

東京都千代田区外神田2-16-2

電話

03-3254-0753

開催日時

隔年5月

アクセス

都バス神田明神前バス停から徒歩約1分

料金

見学無料

公式サイト

https://www.kandamyoujin.or.jp/kandamatsuri/

山王祭

photo by PIXTA

山王祭は、偶数年の6月に開催される東京日枝神社の祭礼。江戸三大祭りのひとつとして知られ、約50万人の人出でにぎわいます。神輿渡御や山車巡行が祭りのハイライト。神田祭と同じように徳川家と深い関わりがあります。

山王祭の由来

山王祭の起源は、1478(文明10)年。この当時に日枝神社の神主だった吉田兼倶が、京都の日吉大社から神霊を勧請して祭りをはじめたとされています。

山王祭が現在のような盛大な祭りになったのは江戸時代に入ってから。徳川家康が江戸に幕府を開いた後、日枝神社は江戸城の鬼門鎮護の神として重要視されるようになり、2代将軍秀忠の時代に幕府の庇護を受けて大規模な祭りとなりました。そして3代将軍家光の時代には大規模な神幸行列が行われることに。江戸時代を通じて、山王祭は幕府の威光を示す場として発展してきました。

この日枝神社は氏子の範囲が広いことでも有名。日本橋、京橋、銀座、八丁堀、茅場町、九段、番町、麴町、平河など、江戸で一番の広さを誇りました。

神田祭と山王祭が交互に行われる理由

江戸で最大の祭りといえば、江戸城まで入ることを許され、将軍も行列を見物した神田祭と山王祭でした。この2つの祭りは別名、天下祭。幕府も資金を援助したことから御用祭とも呼ばれました。そして2つの祭りは競い合ってより華やかに。

競争がエスカレートして最終的にあまりにも派手でぜいたくすぎることが問題になってしまいました。その結果、神田祭と山王祭は隔年で行うことになったのです。

山王祭のみどころ

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神田祭と並び称される山王祭にはユニークな見どころがあります。

神幸行列

山王祭の中心的な行事が神幸行列。日枝神社の御神体を載せた御神輿が、広大な氏子地域を巡行します。この行列には、勅使・奉行・稚児などに扮した人たちが参列。江戸時代の暮らしを華やかに伝えています。

行列の長さは最長300メートル。歩くルートは永田町、四谷、麹町、九段、皇居、東京駅周辺、霞が関、銀座、日本橋など、約23キロメートルにもなります。

御鳳輦

神幸行列の中でも注目を集めるのが、御鳳輦。これは御神体を載せる豪華な輿で、金色に輝く鳳凰の装飾が施されています。

象の山車

江戸時代の風俗を再現した山車や、華やかな装束を身にまとった稚児の行列も、山王祭の重要なポイント。これらは江戸時代から続く伝統を受け継いでいます。江戸時代の山王祭では45台もの山車が引き出され、行列は通りを埋め尽くすほどだったそうです。

鳥や猿などの動物や美少年、花を乗せた山車など、バラエティ豊かな山車も見どころ。なかでもユニークなのは象の山車です。象の山車は1728年にベトナムから江戸に連れて来られた象をモデルにしたもので、江戸後期から山王祭に登場するようになりました。

和菓子の祭り

山王祭の翌16日には日枝神社で山王嘉祥祭が開催されます。これは和菓子の祭り。平安時代の848(嘉祥元)年に疫病退散を祈願するため、仁明天皇が十六のお菓子を供え、年号を改めたことが由来となっています。

山王祭の基本情報

住所(日枝神社)

東京都千代田区永田町2丁目10-5

電話

03-3581-2471

開催日時

隔年6月

アクセス

地下鉄千代田線赤坂駅または南北線・銀座線溜池山王駅から徒歩3分

料金

見学無料

公式サイト

https://www.tenkamatsuri.jp/ 

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日本三大祭を見にいこう!

京都・大阪・東京という大都市で開催される日本三大祭。いずれも歴史と伝統を感じられる祭りで、その規模の大きさにも感動するはずです。見どころが多い日本三大祭りは旅行のメインイベントとしてもぴったり。ぜひお祭を目的にお出かけしてみてはいかがでしょうか。

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