はじめまして。NEWT Chat 編集部です。宿泊施設の多言語対応のご相談を受けることが多く、この記事では「4言語から始めるとして、何から手をつけるか」を、現場で実際にお話ししている順番のまま整理してみます。
宿泊施設から「多言語対応をやりたい」とご相談をいただくとき、最初の質問はだいたい同じです。どの言語を、どこに、どうやって取り入れるか。答えは施設ごとに大きく異なるので一律の正解はありませんが、考える順番だけは共通しています。

受田 宏基令和トラベル 執行役員 CBO
2018年 株式会社Loco Partnersにジョイン。新規事業として民泊事業の立ち上げの責任者を担い年間600施設の掲載を実施し、会社の年間MVPを受賞。その後、東日本の新規営業チーム7名のリーダーを経験し、首都圏の大手外資系ホテルチェーンの担当などに従事。2020年4月には「TASTE LOCAL」を共同創業、グロースを担当。2021年より令和トラベルに執行役員としてジョイン。
まず「4言語」の根拠と限界を押さえる
JNTO(日本政府観光局)の2025年の訪日外客数は4,268万人を超え、過去最高を更新しました(JNTO 2025年12月推計値)。上位5市場は韓国・中国・台湾・米国・香港で、合計すると訪日客のおよそ7割を占めます(JNTO 2025年 訪日外客統計)。素朴に考えれば、英語・中国語(簡体/繁体)・韓国語の4言語をカバーすれば、過半数の声に応えられる計算になります。
ただし、「平均」がそのまま当てはまる施設は実在しません。ニセコのスキー宿は台湾や豪州にかたより、京都の町家は欧米と東アジアが混ざります。札幌の温泉旅館と那覇のリゾートでも、傾向は大きく違います。
まず取り組むべきは、自社のOTA予約データと自社サイトの言語別アクセスを確認し、上位3言語をつかむことです。全国の統計よりも、自社の数字のほうが運用の方針を決める材料になります。
困りごとの分布
観光庁の令和7年度「受入環境整備調査」(PDF)によると、訪日中の困りごととして、ごみ箱の少なさ、施設スタッフとのコミュニケーション、観光地の混雑、交通機関、多言語での表示の少なさといった項目が上位に挙がっています。言語に直接かかわる項目(コミュニケーションと多言語での表示)を合算すると、おおむね4分の1の訪日客が、なんらかの言語的なつまずきを経験している計算になります。
ここで見落としたくないのは、ゲスト側の対処も進んでいることです。前年度の同じ調査では、コミュニケーションに困った訪日客の7〜8割が翻訳アプリで対応していました。スマートフォンを取り出して画面を見せるというやり取りは、もはや現場の標準になっています。これを前提に組み立てるのがよいでしょう。
どの場所で必要かを分ける
宿のなかで多言語での対応が要る場面は、性質の異なる3種類に分けるとわかりやすくなります。一気に全部をやろうとすると、話が大きくなりすぎてしまいます。
1. 静的な表示(最優先)
トイレ、非常口、大浴場のルール、Wi-Fi、客室の設備、避難経路の案内といった、内容が変わらない表示です。ピクトグラム(絵記号)と4言語の固定文を組み合わせるだけで網羅できます。コストも低く、印刷物の差し替えだけで、早ければ2週間以内に完了します。
最優先で着手すべきはここで、とくに次の2つは外せません。
- 大浴場の入り方(タオルの扱い、洗い場の使い方)
- 非常時の経路図
温泉旅館のOTAレビューを読んでいると、「ルールがわからず気まずかった」という低評価は、いまでもよく見かけます。
2. フロントでの対面・電話対応
チェックイン、予約の変更、トラブルの対応など、文脈と即時性が求められる場面です。定型の応答だけでは届きません。観光庁の調査でスタッフとのコミュニケーションが困りごとの上位に挙がる年が多いのは、ここに改善の余地があることの裏返しでもあります。
3. 検討段階のウェブと予約の導線
OTA経由なら相手側の自動翻訳に乗れますが、自社サイトは別です。料金やキャンセルポリシーのように、誤訳されるとあとでトラブルになりやすい項目は、自社で正しく出しておきたいところです。
手段の選び方
表に並べると分かりやすく見えますが、現場ではそうした選び方をしません。場面ごとに「何が使えるか」を見ていくほうが実用的です。
翻訳アプリ・ポケトーク — フロントの即時対応に
フロントで外国人ゲストに対応する場面では、ほとんどの宿でこれが中心になります。スタッフ全員がその日から使え、コストもほとんどかかりません。
ただし、料金・キャンセル条件・利用規約(ハウスルール)・注意事項のように内容の正確さがそのままトラブルにつながる文面には使いません。ここは事前の翻訳とネイティブチェックでつくっておきます。誤訳があとで問題になるパターンは、ほぼこの領域から生まれます。
外部の多言語通訳サービス — 緊急時の保険に
電話やオンラインで急に通訳が必要になる場面(救急の搬送、警察への対応、複雑な苦情など)に有効です。月に数千円から契約できるサービスがあり、医療や行政でも使われているタイプです。ふだんは使わなくても、契約しているだけで安心感が違います。
多言語スタッフの正社員採用 — 接客がブランドの一部なら
客単価が高く、接客がブランドの一部になっているラグジュアリーホテルや温泉旅館の選択肢になります。繁忙期だけ必要というニーズには合わないので、年間を通じて稼働できる規模が前提です。客層に合わせて1〜2言語にしぼるのが現実的でしょう。
ウェブの多言語化 — 直販を伸ばしたい宿に
OTA経由の比率が高すぎる宿や、自社サイトからの直接の予約を伸ばしたい宿に向きます。英語版から始めて、客層に応じて他の言語を足していくのが順当です。
取り組む順番の考え方
迷ったら、次の順番で考えます。
- 自社の客層データを見る — どの言語の利用が多いか
- どの接点で困っているかを確認する — 静的表示/対面・電話/ウェブのどこか
- 接点ごとに手段を割り当てる — 上の「手段の選び方」を当てはめる
よくある失敗は、客層の確認をとばして「とりあえず翻訳ツールを買う」「とりあえず英語ページをつくる」になることです。その次に多いのは、緊急時の対応の多言語化を後回しにすること。地震や急病が起きてから「翻訳しておけばよかった」となる事態は、避けたいところです。
言語以外も含めて整える
多言語での対応は、言葉の翻訳だけでは完結しません。受け入れの体制として、次のような準備も合わせて考えておきたいところです。
- 決済:アジア圏のゲストが多いなら、AlipayやWeChat Payへの対応で売上の機会が広がる
- 食事:原材料の英語表記とアレルギーの問診フロー
- 緊急時:避難経路を4言語とピクトグラムで全室に掲示し、地震・火災・津波のアナウンス文を主要な4言語で用意する
- 医療・行政:英語で対応できる近隣の医療機関のリスト、領事館の連絡先
これらは翻訳の話ではなく、受け入れの体制を整える話です。ここまでそろってはじめて、ゲストが安心して泊まれる宿の土台が整います。
まとめ:4言語対応は「翻訳」ではなく「自社の客層に合わせた設計」
多言語対応は、4言語をそろえれば終わりという話ではありません。出発点になるのは全国統計ではなく、自社のOTA予約データと言語別アクセスです。そこから上位の言語を見定め、接点ごとに手段を割り当てる——この順番を守るだけで、投資の優先順位はかなり明確になります。
最後に、考える順番を整理しておきます。
- 自社の客層データを見る:全国の「平均」ではなく、自社の上位3言語を把握する
- 困っている接点を特定する:静的表示/フロント対応/ウェブのどこにつまずきがあるか
- 接点ごとに手段を割り当てる:翻訳アプリ・通訳サービス・多言語スタッフ・ウェブ多言語化を、場面に応じて使い分ける
着手の順番としては、コストが低く効果が早い静的表示(大浴場のルール・避難経路図)を最優先に。そして、地震や急病といった緊急時の多言語対応を後回しにしないこと。ここを外すと、いざというときに「翻訳しておけばよかった」となります。
そして、決済・食事・緊急時の体制まで含めて整えてはじめて、多言語対応は「翻訳」から「安心して泊まれる宿づくり」へと変わります。自社の数字を起点に、できるところから一つずつ進めるのが、遠回りに見えていちばんの近道です。